放射能事故、東海村JCO臨界事故

東海村JCO臨界事故

正規の作業手順を順守しなかった代償は大きかった・・・

 

この東海村JCO臨界事故については1990年9月30日に発生した日本で最初の被ばく死亡事故である。

 

茨城県東海村にあったJCO東海事業所では高速増殖炉常陽に使用する高濃度ウランの製造を行っていた。まずウランを精製する作業が行われ、その後引き続き精製されたウラン溶液を均質化する作業に取り掛かっていた。事故はこの均質化作業を行う過程で発生したものである。

 

事故発生時、この作業を3名の職員が行っていたが放射線を大量にかつ短時間に被ばくしたため2名が死亡、1名は骨髄移植により生存することができた。

 

この事件の最大の問題はJCOによるずさんな作業内容にある。本来の手順では適切な器具を用いて作業をするべきところ、ステンレスバケツや柄杓を用いて作業を行わせていた。その結果、核分裂反応が連続してはっせする臨界と呼ばれる状態になり、周囲に大量の放射線をまき散らす結果となる。この臨界が生じる瞬間は青白いせん光が走るといわれているが、3名の職員はいずれもそのせん光を目にしていた。

 

直接、大量の放射線を浴びたのはこの3名の職員であるが、ほかにも被ばくしていたことが明らかとなっている。まずこの状況を知らずに救出にあたった消防職員である、救急搬送される際、この消防職員も臨界が発生している作業場所に近づいたことにより、被ばくしてしまったのである。

 

次に臨界状態を収束させるため、作業タンクの周囲にあった水を抜く作業、薬剤を投入する作業をおこなった別のJCO職員である。さらには放射線が空気中にまき散らされた結果、周囲の住民にまで被害が及んだ。なお、事故が発生して国は周囲の住民に避難または自宅待機を伝え、行動を制限する措置を取った。

 

また、このJCO事故では日本で初の大量被ばく者の治療を行ったことでも特筆すべきことである。3名の職員は現場からヘリコプターにて放射線医学研究所に搬送された。その結果、大量の被ばくを確認し、更に設備の整った東大病院に転院、治療を行うこととなる。

 

3名ともに造血幹細胞がダメージを受けたことにより、白血球の消失・減少から感染症の危機と直面することになる。また、全身に放射能を浴びた事によりDNAにも致命的な血相が生じた結果、皮膚の再生ができなくなり体表面からは皮膚が失われるといった症状や、消化器官からの大量出血を起こすこととなる。このような状況の中1名が奇跡的にも治療の甲斐あって助かったことは放射線研究の観点からも意義の大きいことである。

 

このように2名の尊い命と周囲の住民の健康被害を起こしたJCO東海村臨界事故は改めて我々に放射能の危険を知らしめる事となったのである。